クロアチアという国で出会った自分-Moja druga domovina-

未知なる世界に臆することなく / Bez da se plašim nepoznatog svijeta

2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

21. Moram više naučiti Hrvatski (まだまだ勉強が必要)

もっと勉強を頑張らなければならない。 そう俺の気持ちを掻き立てることがあった。 クロアチア人の友人達や同居人のSJと会話していて 俺のクロアチア語の発音がおかしくて笑われる。 しかし彼らに悪意はないしバカにもしていない。 だが俺はバカにされている…

20. Snažno srce ..... važno (気持ち・・・大事)

5月に入るも変わらずロックダウン状態- いったいいつまでこの生活が続くのだろう。 まるで檻に閉じ込められている動物園の動物のよう。 精神的にはピークを迎えつつあった。 毎日、ストレスを抑えることや気を紛らわすことが日課と化していた。 オンラインで…

19. Labuđe jezero (白鳥の湖)

ここで少し時を遡ること3月上旬- 友人の誘いもありバレエを観に行くことに。 三大バレエのひとつ、【白鳥の湖】 2月にも一度観に行ったが 最初は正直バレエというものは俺の想像の領域に存在しなかった。 つまり未知の領域。 なぜならバレエは敷居が高いイ…

18. Loša nije osoba, već virus (真悪はウイルス)

地震からしばらく経った4月中旬- 街は活気を失っていた。 コロナウイルス以前は平日・休日関わらず街中は 毎日賑わっていた。 公園で友人たちと屯して話している、カフェで寛いでいる、バーやクラブで大騒ぎしている、そんな光景がザグレブの街から姿を消し…

17, Nikada nećemo izgubiti (私たちは負けない)

3月22日 朝の6時半。ザグレブの街を大地震が襲った。 その地震ですぐに目が覚めた。 住んでいた家は古かったこともあり、死を覚悟した。 それほどに大きい地震だった。 すぐに外へ避難した。 外へ避難すると同じアパートに住んでいる女性が泣き崩れていた。 …

16. Svakodnevni život opljačkan (奪われた日常)

3月に入り新しい学期がスタートした。 前の学期が修了してから1ヵ月も空いたことで 学校に行くのもめんどくさいと思ってた。 しかしとりあえず新しいクラスメイトも みんないい人ばかりで安心した。それに前の学期から勉強していたこともあり 少し心にも余…

15, Kulturni šok (カルチャーショック)

日本文化は素晴らしい。 何がかと言うと″察する″という文化。 もっとわかりやすく言うのであれば 空気を読む。 日本独特の文化というか考え方。 こっちの、クロアチア人の友人にそのことを話しても 全く理解してもらえない。 なぜなら彼らの中では自分以外の…

14. Htio sam vjerovati da to nije istina (嘘だと言ってほしかった)

2月に入りSJとは頻繁に会うようになっていた。 そしていつものようにSJの家に遊びに行った際 とんでもないことを言われた。 『昨日家族にあなたのことを話したの!』・・・『彼氏ができたって!』 と満面の笑みで。 ↓ SJ ・・・え! いつの間に彼氏になって…

13. Mislio sam da je to moja svjetlost, ali.......(光が差し込んだと思った)

2月に入り、飲み会で知り合った女性SJと2人で飲みに行くことになった。 SJと広場近くのバーに入った。 会話というと日本語・英語・クロアチア語のミックスという なんとも奇妙な感じ。 しかし思った以上に会話に花が咲き 2件目にも行った。 結果夕方から会…

12. Iskustvo čini ljude (経験が人を作る)

1月中旬- 日本人とクロアチア人の交流のための飲み会があった。 行くつもりはなかったが 半ば強引に誘われ渋々参加した。 気持ちは嬉しいが、あまり大勢の飲み会は好きではないから。 でも仲良くさせてもらっている日本人の大学生の子達もいたし 知ったクロ…

11, Država, jezik, boja kože i dob nisu problemi (人種は問題ではない)

1月中旬、冬休みも終わり学校がスタートした。 久しぶりに会ったこともあり、授業そっちのけで 冬休みの話だけで初日は終わった。 学校終了後に、 新しい年が明けたということで、みんなで学校近くのレストランへ行った。 このクラスメイトと過ごすのも残り…

10. Svakako ću jednog dana ponovno posjetiti Sloveniju. (またいつの日か)

“See ya Postojna !“ 優しいお兄さんのおかげもあり無事にバスに乗り込み安堵していた。本当に一時はどうなるかと思った。あのお兄さんがいなければ、1月の寒い時期に野宿する羽目になっていただろう。 そんなことを考えながらも やっと落ち着くことができた…