17, Nikada nećemo izgubiti (私たちは負けない)
3月22日
朝の6時半。ザグレブの街を大地震が襲った。
その地震ですぐに目が覚めた。
住んでいた家は古かったこともあり、死を覚悟した。
それほどに大きい地震だった。
すぐに外へ避難した。
外へ避難すると同じアパートに住んでいる女性が泣き崩れていた。
その方の元へ行き、『大丈夫。何も心配はいらない。』と
根拠のない励ましをしていた。
地震の怖さは嫌というほど知っている。
だからなのか恐怖や絶望感は感じつつも、
どこか冷静にいなければならないと思う自分もいた。
多くのクロアチア人の友人達から『日本人は地震をたくさん経験しているから怖くないでしょ?』と言われた。しかし何度体験しても慣れることは決してない。
むしろ体験すれば、怖さを知れば知るほど恐怖感は増していく。
自然が相手だと、この苦しみや悲しみ様々な感情は行き場がない。
日本と違い、多くの建物が地震を想定した造りではないことから
被害の多さに繋がったと思う。
この写真のとおり、もはや街は空爆を受けたかのような惨劇だった。
本当に奈落の底に突き落とされた気分だった。
今回この地震を体験した人のほとんどはそうだろう。
地震が収まってから30分程経ったときだった。
俺は驚いた。
携帯を確認すると、クロアチア人の友人達から多くの心配や励ましの
メッセージが届いていた。
ザグレブに住む友人達、ザグレブから遠く離れた街に住む友人達。
『大丈夫だよ!』、『私達がついているから!』、『ケガはない?家はどう?』
、『何かあったらいつでも頼って!』等、ほかにもたくさんきた。
何に一番驚いたかというと、ザグレブに住む友人達だ。
彼らも同じ被災した側にも関わらず、留学で訪れた外国人の友人のことを気にかけ
すぐに連絡をくれたことだ。
別に驚く程のことではないと思うかもしれないが、もし逆の立場だったとき彼らと同じことができただろうか。
今回の地震で、人間の本当の意味での温かみの様なものを感じることができた。
だからこそ、地震が起きてすぐに冷静になれたのかもしれない。
彼らとなら困難な状況にも立ち向かうことができると確信した瞬間でもあった。
ちなみに今回のザグレブの大地震は140年ぶりだと聞いて驚いた。
コロナウイルスと大地震のダブルパンチを体験するなんて強運・・・
ではなく凶運の持ち主だ。なんてタイミングで留学に来てしまったのだろうか。
今回の地震を気に街の雰囲気が変わっていったように感じた。
それは風景という意味だけでなく、空気や人々の表情や活気等。
当時は本当に
やり場のない気持ちが、心の中で渋滞を巻き起こしていた。
Vidimo se ! (またね)