2. Smijem se sada i plačem kasnije (今は笑って泣くのは後)
9月末、クロアチアに到着した。
しかし問題なくという訳にはいかなかった。
それもそのはず、俺の英語は全く使い物にならないし、海外にいくなんてのも初めてだったから。
ー 成田空港を出発してトランジット(乗り換え)のためポーランドのワルシャワ空港に着いた。
右も左もわからないし、案内板の理解に苦しんだ。とりあえず人の流れに身を任せ、どうにかザグレブ行きの便の搭乗口まで行けた。
が
しかし、搭乗口について目にした光景は“ソウル行き“の表示。
成田からの飛行機の遅延に加えて、空港についてから搭乗口に行くまで時間がかかったことで、ザグレブ行き飛行機は俺をおいて飛び立ってしまった。
慌てふためいた。
今日はまだ飛行機があるのか?このチケットで搭乗できるのか?Wi-Fiは?俺の荷物はいずこへ?
途方に暮れていた。が携帯電話も使用できないし、頼る人もいないから一人で乗り切るしかなかった。
とりあえず空港スタッフに低レベルな英語で状況説明をし、どうすれば良いのか聞いた。
すると、今日はザグレブ行き飛行機は飛ばない、搭乗チケットを明日の便に変更しなければならない、荷物は保管センターにある。
日本だと30分もあればなんなくクリアできるミッションだが、言葉が通じないだけで話はだいぶ変わってくる。
そんな状況下だからこそ思った。もっと勉強していれば良かったと。
チケットを明日の便に変更するのには苦労しなかった。
しかし荷物の保管センターがわからずスタッフに尋ねると、セキュリティを再度戻る必要があると言われた。言われた通り戻っていると、『何してる!なぜ戻っている!』とセキュリティスタッフのおばさんから怒鳴られた。状況を説明しても通じない。
周りにいる大勢の人がこっちをみた。“あのアジア人は何をしているんだ“と言わんばかりの目で。
もう最悪の状況だ。
何を言っているのかわからないポーランド語でずっと怒鳴られていた。
とそのとき、セキュリティに並んでた一人のインド人男性が助けにきてくれた。
俺が日本人だとわかったらしく通訳してくれた。
その方がまるで神様のように思えた。
その方のおかげで、荷物保管センターの場所もわかり、無事荷物を受け取ることができた。
感謝してもしつくせない。
どうにかミッションはクリアしたがザグレブに着くまでは安心できず
眠れぬ夜を空港ベンチで過ごした。
- Vidimo se !(またね) -